聖子と明菜とうちの人事

少し前の書籍だが、松田聖子と中森明菜を比較した文化論を解説した「松田聖子と中森明菜 1980年代の革命」が話題になった。アイドルを自覚して演じきった松田聖子と唯一無二のアーティストの中森明菜という80年代を代表する2大スターを創り上げたレコード会社と芸能プロの相反する思想と戦略を軸にしたものである。

松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命  中川右介著 Amazon

 その中に「松田聖子は芸名、中森明菜は本名、というのが2人の決定的な違いである」という話がある。松田聖子はあくまでも「役柄」であり、彼女は役柄としての松田聖子を演じているのであって、すべてをプライベートの蒲池法子(本名)と切り離して考えることができたという。したがって数々の苦難やバッシングなどはすべて松田聖子という役柄に対するものとして受け止めてプライベートに引きずらなかった。それとは反対に、中森明菜は本名でもあり、彼女は仕事とプライベートがすべて一体になっていたため、仕事での苦難をすべて一人の人間である中森明菜として受けてしまった結果、大きなストレスに悩まされるようになった、という話である。

 この話を会社と社員に、さらには人事に当てはめてみたらどうだろうか?

 芸名・役柄名を、会社のジョブディスクリプション(職務記述書あるいは職務明細書)として考えてみる。個々の社員のポジション、役割を明確に示したもので「あなたの仕事はこれとこれとこれですよ」「それを達成するために、この目標値をこの期限までに完成させてもらいます」など、つまりは演者に与えられた役柄についての細かい説明がなされたシナリオのようなものである。

 そもそも、ジョブディスクリプションは明確に作られているだろうか、社員に「目標達成のための自分を活かすツール」として伝達されているだろうか。

 ジョブディスクリプションで売れっ子を作れ

 ジョブディスクリプションを作品をヒット作か駄作かを決めてしまう役柄設定として捉えると、社員が聖子ちゃんタイプなのか明菜ちゃんタイプなのか、ヒット作を機に会社がどう社員を売り出せばいいのかが見えてくるだろう。「社員を売り出す」というのは、要するに社員の育て方、伸ばし方、活かし方の話である。人事というキャスティングディレクターが優れていれば、配役次第で会社も社員も大ヒットである。

 会社での自分を「役柄としてきっぱり割り切って演じ切る」、「プライベートの自分との共通点を見出して融合させる」、どちらかに優劣はない。重要なのは、社員がどちらに向いているのかを人事が決めることである。あるときは聖子ちゃんスタイルが、やっぱり明菜ちゃん風が良さそう、いや聖子ちゃんに戻る方が吉とでるか、と社員も人事も迷ってしまうというどっちつかずが売れないアイドル…いや、売れない(使えない)社員と化するのだ。

 だからこそ、ストーリー展開(企業理念、数値目標、ビジョン)が明確で、詳細な役柄設定(ジョブディスクリプション)が施されたシナリオ(企業戦略)であればあるほど、売れっ子社員として能力を発揮できるようになる。売れっ子人事ができれば会社は潤って当然だ。

 社員の幸せと会社の発展のために、まずは理念共有とジョブディスクリプション(職務記述書)を明確にいたしましょう!

自信のある女性は活躍できるのか?

今年の秋、P&GのヘアケアブランドPantene(パンテーン)が、日本の没個性的な就職活動に対するメッセージ広告を出して話題を呼んだ。黒髪を後ろでひっつめて黒のリクルートスーツを着た終活女性の姿に「ひっつめ髪をほどいた就職活動が、この国の当たり前になりますように」などのコピーがついて、新聞広告や吊り広告として展開された。

Panteneは、無意識のうちに「女性はこうあるべき」という固定概念を植え付けられてしまう日本社会の習慣を、就職活動におけるリクルートスーツやリクルートヘアメイクの中に感じていたからこそ、「自由にありのままの姿で自信を持って活躍していくことを後押しできたら」とのメッセージを込めての広告展開をしたという。

通勤中の電車の吊り広告に「「ひっつめ髪をほどいた就職活動…」と見た人は、男女年齢を問わず、賛同するしないも別として、何かしらの想いは感じたはずである。どう考えても、日本のリクルートファッションの団体は異様な風景なのだ。メッセージとは、まず何かしらの波紋を投げかけることができればステップ1は成功である。

このメッセージ広告は、「大きな話題を呼んだ」「SNSで共感の声が数多く発せられた」と報じられたが、SNSに共感の声を発した人々の中に、どれだけの会社経営者がいて「リクルートスーツでの面接は廃止」と決めただろうか。Twitter拡散をしたであろう就学生の中で、リクルートスーツを脱ぎ捨て、ひっつめ髪をほどくことができる女性たちはどのくらいいるのだろう。心では、ひっつめ髪のリクルートスタイルは「自分ではない」と違和感を感じつつも、それを辞める最初の一人になるのはとてつもなく不安で怖くて当然なのだ。

この季節、小学校お受験に向かうと思しき母子連れの姿を多く見かける。改心のお受験用ファッションコーデに身を包み、ご自慢のブランドバッグを真っ黒のお受験付き添いバッグに持ち替えた母に引率された女の子たちは、皆おなじようにきれいに編まれた三つ編みヘアーでお受験ワンピースを着ていた。

リクルートスーツやお受験ファッションの是非を問うことが問題ではない。そもそも、今の日本では、【ありのままの自分の個性に自信を持っている女性】は本当に活躍できるのだろうか。いや、活躍させてもらえる準備は、社会に、会社に、できているのだろうか。

三つ編みもひっつめ髪もほどいた日本の女の子が、この国で当たり前に活躍できますように。

パンテーン広告のニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/15370007/

ネガティブ社員は辞めていただいても良い説

会社という枠組みで社員を「幸福」にしようとするならば、できることはかなり限られる。会社が制度として与えられる事項、即ち「評価報酬制度」「人事制度」について社員が満足するような制度への「改善」を模索することだろう。これらの制度整備は組織としての大前提事項とはいえ、残念ながら社員はいくら給料を上げてもなかなか満足してくれないものでもある。

ハーバード大学の調査によると、「年収が100万円増えてもその人の幸福度は殆ど変わらない」という結果が出たという。その結果が表すように、給料アップを含め、会社の枠組みの中の制度を変えたとしても、社員が感じる幸福度には直接影響を与えない。

もともと幸福な社員だけでいい

では、会社としては何をすればいいのか。答えは、「もともと幸福な人を多く雇用する」に尽きるのだ。もともと幸福度が高い人を会社に多く入れれば、組織の雰囲気自体が良いほうへシフトし、業績にも好ましい影響がでるはずだ。同時に、その幸福度に馴染めない人は居心地の悪い会社を辞めていくことになるかもしれない。しかし組織としてはそれでいいのである。残酷な言い方になるが、不幸な人は会社にいてもらわなくてよいのだ。

近年、海外企業では、採用候補者に対して「幸福度調査」を実施する会社が増えている。組織に入る前の人間関係や幸福度を測定したファクターを、企業ごとの組織と特性をもとに統計的に分析し、採用候補者の幸福度と企業をマッチングさせる採用が一般化してきているのだ。

学歴が高く、スキルがあったとしても、「幸福でない人」には組織に入ってもらわなくていい。一見リスクの高い考え方ではあるが、ハラスメントや心身の疾病すら生む職場を作らない真の健康経営を目指すのであれば、企業の将来に重きを置いた新しい採用の概念である。採用前にこそ、候補者の幸福度や人生観を見ておくべきなのだ。

既存社員に対しての幸福度調査も定期的に実施されるべきであり、調査結果に応じて会社が素早く改善の対応策を取ることが重要である。せっかく幸福度の高い人材を採用しても、幸福度の低い先輩社員から悪影響を受けるような環境に入れてしまっては意味がないのだから。

日本で「幸福度調査」を実施する企業は徐々に増えては来ているが、実際に採用や人事の配置、ハラスメント防止などに積極的に活かしているところはまだ殆どない。これからは、採用候補者と既存社員に対する「幸福度調査」の導入は非常に有益な企業戦略になるだろう。

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個人的な夢を語る社員は有害か有益か?

これまでは「個人の人生目標や夢を会社で語られても困る」という経営者が多かった。

社員幸福度の高さが株価や企業価値に比例するという世界の調査事例や、幸福学と経営学の関連性にメディアや経済界が着目するようになったことで、個人の人生目標が高い社員の方は会社でのパフォーマンスも高くなるという考えが広まりつつある、ようやく!

 とはいえ、個人の人生目標であっても「できれば会社目標に関連するもの」「業務に関わること」を暗黙に求めてしまう経営者や管理職はいまだに多い。個人目標を持つのは良いが、個人的な夢のレベルならば、会社には関連付けられないし、関連付けて欲しくない。ときには、人生の目標が明確になることで会社を辞めてしまうのではないか、という懸念すら起こる。

「個人の目標や夢の話は、会社を辞めたくならない程度にお願いします」

 とは、社員研修先で実際に言われた言葉である。理由は、自分の夢や目標を再認識することで、「この会社に自分がいるべきではないのではないか」と考えて辞めてしまうのではないかというのだ。危機感を感じるポイント自体がずれている。

 個人的な夢を持つ社員は会社にとって有害なのか有益なのか。この答えがどう出るのかは、社員個人の問題というより、会社目標の共有、企業理念の浸透、職場環境の状態、さらには上司や経営者の「生き方・働き方」が社員にどう見えているのかの影響が大きい。離職が止まらない原因もそこにある。

 才能を見込まれている20代の男性社員が、絞り出して答えた目標が「週末に会社のケータイを気にせず過ごし、土曜日の昼間から飲んで、日曜日に二日酔いになりたい」だった。目標が二日酔いしても大丈夫な日曜日…。40代の管理職男性は「住宅ローンの返済以外は何もない」と語った。

企業文化や職場環境がいつのまにか、壮大でもささやかでも人生の夢を持つという心の余裕を社員から奪ってしまうようなものになっていないかに目を向けることも必要だ。

社員が個人的な人生目標や夢に目を向けることで、業務に集中できなくなる、会社を辞めたくなる、自分勝手になる…という得体の知れない不安や不信感を感じているのなら、経営者や管理職からあらためて自分自身の仕事以外の夢を確認してみてはどうだろう。

 それでもなお、個人的な夢を持つことは、会社業績に全く関係しない、むしろ無駄であると感じるのであれば、ブレずにそのように企業文化を整え、同じように感じる社員が自然と集まり結束することを信じるべきである。

ただしその場合、真逆の考えの企業がどんどん成功していくことに一切文句は言わないことが鉄則である。

10連休!あなたの会社は休めますか?

2019年のゴールデンウィークが10連休になる見通しとなった。新天皇即位の「即位礼正殿の儀」が行われる51日が「祝日」となることから、427日の土曜日から56日まで、史上初の最長10連休が現れる。そう、出現してしまうのだ。当然、経済にも社会にも大きな影響が出るだろう。

では、あなたは、あなたの会社は10連休できますか?いや、言い方を変えよう、

   10日連続の休みを心から満喫し、活かせますか?

10日間日本全体の機能がシャットダウンするわけでもなく、当然業種や状況によっては10連休は「しない方が得策」の場合もあることを前提に、そもそも「休みを満喫できる心」を保てているかというお話しである。

日本の会社も会社員も、長期休暇が苦手な体質なのかもしれない。「休む」こと自体に何かしらの罪悪感や、怠け者になったような感覚、後で損してしまうのではないかという不安や恐怖感、そういうものが付随しがちな国民性なのだ。

史上初の10連休はまさに「働き方改革」の実施練習には持ってこいである。社内の業務フローや共有の文化やシステムの構築の準備は今からすべきであり、それに合わせて社員がそれぞれの「働き方」を再考するチャンスなのだ。

これからの時代の働き方のあるべき姿を、長期休暇に対する「個人理由」から考えてみるとわかりやすい。これまでは、ワークライフバランスのススメが提唱されてきた。ワーク(仕事)とライフ(人生)は別物なので、そのバランスを上手に取るという考えだ。ともすると、仕事の辛さを補うためにプライベートを充実させよ、という捉え方にもなりがちだ。

しかし、人生の成功の鍵は、ワークとライフを一体化させるという新常識に変わってきている。これがワークライフ・インテグレーションである。であれば、10連休も楽勝のはず!

会社に行かない時間を自分の仕事のサポートになる新しい経験にあてても良い、十分に休むことだけに集中して鋭気を養っても良し。身体的に休むこと、睡眠することは、疲労回復という自然の防御作用はもちろん、人間本来の潜在能力を再生しパフォーマンスを高める作用もある。

もしもあなたの休暇が、「辛い仕事を忘れるため」という目的だとしたら、ワークライフバランスからワークライフ・インテグレーションという働き方に変えていく道を真剣に探すべきである。

ダイバーシティ人事の「悪い見本」

USオープンテニスで優勝した大坂なおみ選手が来日した時の記者会見をご覧になった方も多いだろう。

大坂選手の「プロとしての仕事のスキル=テニスについて」ではなく、彼女の国籍や人種にかかわる話題ばかりに注目が集ってしまったことに違和感はなかっただろうか?大坂選手はもちまえのユーモアも交えて何とかかわしていたが、実際は彼女にとっては非常に不可解で不愉快な会見だったかもしれない。

残念ながら日本では「ダイバーシティ(多様性)」、とくに国籍や人種の多様性を持った人や文化への対応がまだまだ日常化しておらず、非常に「下手」である。その一方で、国籍や人種への関心だけは異常なまでに高いので、よほど気を付けておかないと大坂選手のようなレベルの高いプロフェッショナルスキルを持ったアスリートに対しても「悪気なく」国籍や人種の話題を振ってしまう。

多くの日本企業がビジネスを国際化するに伴い、「ダイバーシティ」を推進する動きが見られる。国際ビジネスを成功に導くには、多国籍多人種にわたるレベルの高いプロフェッショナル、つまりはレベルの高い「ダイバーシティ人材」の雇用が必須である。

大坂選手のようなハイレベルな「ダイバーシティ人材」は、アスリート界だけでなく、今後どのような業界・職種であっても確実に増加し、活躍する。国籍や人種に関係なく、自身のスキルを極めることによってプロとして仕事をしているという自負と自信=「プライド」が非常に高い人材たちにとっては、その高いプライドそのものがハイレベルな力を発揮するモチベーションになっているのだ。そのような人材に対しては、「プロとしてのスキル」に焦点を向けてコミュニケーションすることが非常に重要なのだ。国籍がどうしたとか、人種が何だとか、挙句に「日本で何を食べたのか」「今日も真珠のピアスはしているのか」などという質問は、プロスキルにはまったく関係がない。

大坂選手の記者会見は、是非これからの日本のダイバーシティ人事の「悪い見本」にしていただきたい。その人の功績や才能よりも先に国籍や人種つい焦点を当ててしまいがちであるが、国籍や人種にしか興味を示さないようでは、レベルの高いダイバーシティ人材ほどプライドが傷つき、モチベーションが下がり、本来の力を出しづらくなる。そうなってしまってはその人材にとってはもちろんのこと、企業にとって大きな損失である。

ダイバーシティ人材の獲得で、会社の将来が大きく変わるという日本企業も多いだろう。今や、世界のトップクラスの経営者たちが、成功する企業の構築の基盤には、「まずは思いやりである」と明言する。思いやりの心を以てすれば「興味本位」と「関心」の違いも明確になる。会社の未来にダイバーシティ人材を望むのであれば、「思いやり」のレベルも国際規格まで上げることだ。

 

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働くママたちにも出世街道があっていい!

マタハラとは、職場において妊娠や出産した女性に対して行われる精神的・肉体的な嫌がらせのこと。そして、マタハラがあったにしてもなかったにしても、職場復帰した女性には、マミトラという次なる試練が待っていたりする。マミトラとはマミートラックの略、職場復帰した女性に対して、産休前とは違う単純業務しか与えられなかったり、仕事と子育ての両立ができることとの暗黙の引き換えの中で昇進・昇格は諦める道を歩むこと。陸上競技のコース「トラック」に由来した言葉で、出世は無しの「子育て母コース」に乗ったらそのまま出られなくなるという意味。働く女性が直面する出産後の大きな問題なのだ。

マミトラ対策は20年遅れ!

アメリカでも同様にMommy Trackと言われ、同じ問題としてあるものの、日本の場合はまだまだ「女性活用」の歴史も理解も浅く、その対応も初期レベルだ。厚生労働省の調査では、夫婦の育児分担ができている家庭は20%しかないという。これだけ女性進出が当たり前になっていても、日本では個人レベルになると育児と仕事の両立自体への考え方や実現化においては後進国のままである。これでは、子育てや家事と仕事を両立することに楽しみを見出し、将来の人生目標に活かしていこうとなど想像もできない母親も増える。

マミトラには、職場での業務体制や職場習慣の問題に加えて、家庭での協力の在り方、母親本人の人生目標への想いなども関わってくる。

マミトラを出世可能な道に変えるための対策には、

1.情報や業務の属人化を無くためのITツールとしくみを導入

2.書類、物品のムダの削減のため、業務プロセス作成

3.テレワークや時短の実現化のため、成果による目標達成

4.女性管理職を増やすため、性別、国籍関係のない職責の見直し

こうした、いわゆる誰もが思いつく「働き方改革」の課題に加えて、さらに重要なものがある。

【差別や偏見は「幸福感」で無くせる】

企業も個人も新常識を取り入れ、考え方や習慣を変革させていくことはないだろうか。

現代社会で最も注目されている最新の経営学は「幸福学」である。人(社員)が幸福であることは、業績を高めるだけでなく、職場内における人間関係や信頼関係も向上させる。心理学的にも差別や偏見が生まれる条件には、幸福感の有無や高低が関わるとも言われている。

母親が働くことに対して、差別や偏見を持っているのは実は男性だけではない。同じ職場の女性たち、ときにはこれまで働く母親としての差別や偏見を経験してきた先輩たちも例外ではない。さらには、働く母親たちが、自ら負い目や諦めを持ってしまうことは残念なことだ。

ハラスメント対策を重く認識する企業も増えてきた。ダイバーシティ雇用の時代になってきたことも誰もが自覚している。そんな時代に、マタハラ、マミトラなどという言葉を残していては歴史の逆行である。幸福度を基盤とした改革、これは日本の社会にも職場においても、男性だけではなく女性たちにも投げかけられたミッションである。

母親となったからこそ、今までとは違う、今までではできなかった仕事の仕方をクリエイトできる専用の道を歩いていける!そんな新マミートラックが作れる働き方改革は、日本の女性たちにも不可能ではないように思えるが、皆様はどうだろう?

 

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自分の葬式を想像する?!

もし今あなたが死んだとして、そのお葬式であなたは生前どんな人だったと語ってもらいたいだろうか?何人くらいの人が泣いてくれるだろうと想像したことはあるだろうか?こういった自己質問は、人生の目標構築や終活などでよく使われるものであるが、「自分の葬式のことなんて考える余裕もないし、縁起でもない」と日々の暮らしに追われているときこそ、一度立ち止まって考えてみたい。「どちらにしても、死んでしまった後のことは自分でどうにもできない」と思ってしまっているなら、尚のことだ。

毎日、どんな想いと目的を持って、そして「楽しく」過ごせているだろうか?自分の葬式の出席者にどんな思い出を残せて、どれだけの人が涙してくれるだろうか。人生100年と言われる時代に突入し、その貴重な100年のうち、多くの人が長い時間を「仕事」「会社」に費やしているのだ。

多種多様な企業の社員ヒアリングを通して、多くの人が将来への漠然とした不安、会社の存続の不安を口にしている。まだ起きてもいないことを想像し、不安や悩みの原因と責任を誰かに求め、最終的には自分を苦しめる。こんな無駄なことに人生時間は使えない。

責任を避け、無気力なまま、会社に依存するだけの「ぶらさがり社員」が多いと言われる昨今、社員の方から「この会社でこそ、自分を活かしたい」と願う、そんな会社は作れないものか。葬式で「仕事もプライベートも楽しみ尽くした人だった」と、誰もの思い出に残る働き方はできないのだろうか。

答えは「イエス!」だ。

「ぶらさがり社員」はなぜできてしまうのか?日本の多くの会社は、給与をもらって仕事が与えられる。一方的に与えられた仕事にやりがいを見出せず、モチベーションは下がり、不満は増え、さぼり知恵も増える。社員にとってそんな会社から得るものもなく、当然会社にとってもそんな社員はいらないのだ。自主的に稼ぐことが面白いと思えるやりがいのある社員だけで十分なのだ。会社は時代の変化に気づき、遅かれ早かれ、経営スタイルを変えることになる。その際に、雇用形態などはどうでもいいことだと改めて気づくだろう。

自分の葬式を想像してみる…そこから、働き方への新しい概念とヒントが見えてくる。自分の葬式、自社の社員、一緒に仕事をする仲間やクライアント、その人の葬式ではたくさんの仲間が涙し、生き甲斐を語り合う。会社という組織が、それを可能にする方法のひとつであっても良いのではないだろうか。

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日本に女性管理職が育たない理由、それはもうホラー!

「セクハラ」という言葉が、1989年の新語・流行語大賞の新語部門の金賞を取ったのを覚えているだろうか?むしろ、知っていただろうか?同時に流行った「それ!セクハラですよ!」というフレーズとともに、一世を風靡。「セクハラ」という言葉そのものも、仕事をする女性たちへの無神経な言動が「性的嫌がらせ」として訴訟対象になるということも、当時の社会に与えたインパクトがどれほど大きかったのかが伺える。

 それから間もなく30年が経とういう現在、セクハラは職場の問題として変わらずに起き続け、未だに女性管理職が育たないのが日本である。社会への女性進出がもはや当たり前となった反面、セクハラ案件に次いで、結婚・妊娠・出産に対する女性対象の新ハラスメントすら誕生した。女性対象のハラスメントに関する相談や訴訟は増加傾向にすらあり、そんな職場環境の中では女性管理職が育つはずもない。

 何よりも大きな壁になっているのは「概念の壁」なのではないだろうか。日本の近代社会は男女平等のように見えてはいても、影の部分の古い概念や習慣の壁は根深い。最近では、某有名医大で、女子受験生には長年当たり前のように入学試験の時点で「差別」が行われていたという事件の暴露は、衝撃的だったのではないだろうか。これは一大学の不祥事件として通過してはいけないことである。

 世界ではエリート教育に、STEM教育の重要性が求められている。STEMは、S(サイエンス・科学)、T(テクノロジー技術)E(エンジニアリング・工学)、M(マスマティクス・数学)の専門分野の強化であるが、日本では女性の専門大学への進学率が極めて低い。入学試験の時点で女性差別が行われる国で、2年後にオリンピックが開催される…。もはやホラーである。

 当然ながら、日本の一般社会や職場でも同様に、「女性には管理職は重責すぎる」「女性は家庭のことなどで責任を継続できない傾向がある」と懸念する考えが浸透しているのは事実である。女性側もまた、そうした職場環境にいることで「自分に意欲があっても、職場内の理解や協力が得られないのが見えているのなら、管理職はあえて望まない」という声が多いのだ。某大手企業に勤める女性から「希望を持てば持つほど、現実に潰される経験をしてきたので、意識的に希望を持たず淡々と仕事をするようにしてきた」という声も聞いた。

たとえば「working woman」という画像検索で出てくるのはこういう写真。

 女性に何を求めてますか?

「働き方改革」の課題に挙げられている「女性活用」「女性管理職の増加」には、企業文化の習慣や癖から徹底して把握、改善していくことが求められる。自社の職場環境がどうなっているのかの現状把握、さらにはそこからの改善、教育、研修を進めていくべきである。

 アメリカのトップ企業では、ハラスメントや差別、不当な取り扱いが起こらない労働環境への改善のために、専門家を雇い、予算も時間もかけて取り組んでいる。こうした世界企業の情報やノウハウをいち早くキャッチできるのも、日本の素晴らしい特性のはずだ。

 ハリウッドから始まった「#me too」運動からもわかるように、欧米の女性たちもまったく同じハラスメントや差別、社会進出の壁に向かって改革をしてきた。日本の女性には、その強さを支える柔軟性がある。これからの日本企業に女性管理職が増えていく可能性に期待したい。

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良質のネガティブ、はじめました!

どこの会社にも「ネガティブ社員」はいるものだ。残念ながら、経営者がネガティブである場合も無きにしも非ず。

いわゆる一般的な「ネガティブ社員」の弊害は、他者へ悪影響を与えてしまうことである。自己他者を問わず批判や非難が多いのはもちろん、言動のすべてで周囲全体の士気を落とし、時には攻撃的にもなる。ハラスメントの加害者にも被害者にもなりやすい存在である。

当然、職場では「ポジティブ」「前向き思考」であることが、良いとされる。しかし、本来ネガティブとは「悪」ではない。単にポジティブの相対にあるだけのもので、ポジティブとネガティブは表裏一体、両方あってひとつの物事が存在するものでもある。ひとりの人間も、大きな職場も同様なのだ。

表裏一体にあるものだからこそ、微妙なきっかけで、ポジティブもネガティブも良質のものか危ないものかに姿を変えてしまう。

職場においての良質のネガティブとは、配慮あるブレーキ役のことである。「常にアクセル全開」になりがちな危ないポジティブに対しても、落ち着いて向き合い、冷静な判断で絶妙なブレーキをかける。良質なネガティブ思考は、危険管理や想定外に立ち向かえる能力を高める。

ネガティブ思考が良質に働くかどうかは、その人の感情が良質であるかだ。ネガティブ言動の基盤が「怒り」や「攻撃」「批判」「妬み」「悪口」といったものでなければ、良質なネガティブによる言動は人を傷つけるものではない。ネガティブが良質になるか危険になるかの鍵は、「人生の目標が明確であり、自身の幸福感に責任を持っている」ということだ。

会社内のネガティブとポジティブは、その質とバランスにかかってくる。ようやく日本でも会社経営のノウハウや社員教育に、幸福学やポジティブ心理学の導入が行われるようになってきた。どうしても「社員みなポジティブ」を無理やり目指すプロジェクトのように思われがちだが、幸福学の基盤は、そもそもネガティブとポジティブを差別化したり、どちらかに優劣をつけるものではない。どちらも良質に保つこと、そして人生でも職場でも、あらゆる場面で活かすことのできる意識バランスの習得なのだ。

ネガティブ社員を無理やりポジティブ社員にしようとするより、幸福学を通して良質なネガティブとは何かを学びとること、人生や仕事での目標達成を明確に行えるように導く方が、発展的ではないだろうか。