聖子と明菜とうちの人事

少し前の書籍だが、松田聖子と中森明菜を比較した文化論を解説した「松田聖子と中森明菜 1980年代の革命」が話題になった。アイドルを自覚して演じきった松田聖子と唯一無二のアーティストの中森明菜という80年代を代表する2大スターを創り上げたレコード会社と芸能プロの相反する思想と戦略を軸にしたものである。

松田聖子と中森明菜 一九八〇年代の革命  中川右介著 Amazon

 その中に「松田聖子は芸名、中森明菜は本名、というのが2人の決定的な違いである」という話がある。松田聖子はあくまでも「役柄」であり、彼女は役柄としての松田聖子を演じているのであって、すべてをプライベートの蒲池法子(本名)と切り離して考えることができたという。したがって数々の苦難やバッシングなどはすべて松田聖子という役柄に対するものとして受け止めてプライベートに引きずらなかった。それとは反対に、中森明菜は本名でもあり、彼女は仕事とプライベートがすべて一体になっていたため、仕事での苦難をすべて一人の人間である中森明菜として受けてしまった結果、大きなストレスに悩まされるようになった、という話である。

 この話を会社と社員に、さらには人事に当てはめてみたらどうだろうか?

 芸名・役柄名を、会社のジョブディスクリプション(職務記述書あるいは職務明細書)として考えてみる。個々の社員のポジション、役割を明確に示したもので「あなたの仕事はこれとこれとこれですよ」「それを達成するために、この目標値をこの期限までに完成させてもらいます」など、つまりは演者に与えられた役柄についての細かい説明がなされたシナリオのようなものである。

 そもそも、ジョブディスクリプションは明確に作られているだろうか、社員に「目標達成のための自分を活かすツール」として伝達されているだろうか。

 ジョブディスクリプションで売れっ子を作れ

 ジョブディスクリプションを作品をヒット作か駄作かを決めてしまう役柄設定として捉えると、社員が聖子ちゃんタイプなのか明菜ちゃんタイプなのか、ヒット作を機に会社がどう社員を売り出せばいいのかが見えてくるだろう。「社員を売り出す」というのは、要するに社員の育て方、伸ばし方、活かし方の話である。人事というキャスティングディレクターが優れていれば、配役次第で会社も社員も大ヒットである。

 会社での自分を「役柄としてきっぱり割り切って演じ切る」、「プライベートの自分との共通点を見出して融合させる」、どちらかに優劣はない。重要なのは、社員がどちらに向いているのかを人事が決めることである。あるときは聖子ちゃんスタイルが、やっぱり明菜ちゃん風が良さそう、いや聖子ちゃんに戻る方が吉とでるか、と社員も人事も迷ってしまうというどっちつかずが売れないアイドル…いや、売れない(使えない)社員と化するのだ。

 だからこそ、ストーリー展開(企業理念、数値目標、ビジョン)が明確で、詳細な役柄設定(ジョブディスクリプション)が施されたシナリオ(企業戦略)であればあるほど、売れっ子社員として能力を発揮できるようになる。売れっ子人事ができれば会社は潤って当然だ。

 社員の幸せと会社の発展のために、まずは理念共有とジョブディスクリプション(職務記述書)を明確にいたしましょう!