自分の葬式を想像する?!

もし今あなたが死んだとして、そのお葬式であなたは生前どんな人だったと語ってもらいたいだろうか?何人くらいの人が泣いてくれるだろうと想像したことはあるだろうか?こういった自己質問は、人生の目標構築や終活などでよく使われるものであるが、「自分の葬式のことなんて考える余裕もないし、縁起でもない」と日々の暮らしに追われているときこそ、一度立ち止まって考えてみたい。「どちらにしても、死んでしまった後のことは自分でどうにもできない」と思ってしまっているなら、尚のことだ。

毎日、どんな想いと目的を持って、そして「楽しく」過ごせているだろうか?自分の葬式の出席者にどんな思い出を残せて、どれだけの人が涙してくれるだろうか。人生100年と言われる時代に突入し、その貴重な100年のうち、多くの人が長い時間を「仕事」「会社」に費やしているのだ。

多種多様な企業の社員ヒアリングを通して、多くの人が将来への漠然とした不安、会社の存続の不安を口にしている。まだ起きてもいないことを想像し、不安や悩みの原因と責任を誰かに求め、最終的には自分を苦しめる。こんな無駄なことに人生時間は使えない。

責任を避け、無気力なまま、会社に依存するだけの「ぶらさがり社員」が多いと言われる昨今、社員の方から「この会社でこそ、自分を活かしたい」と願う、そんな会社は作れないものか。葬式で「仕事もプライベートも楽しみ尽くした人だった」と、誰もの思い出に残る働き方はできないのだろうか。

答えは「イエス!」だ。

「ぶらさがり社員」はなぜできてしまうのか?日本の多くの会社は、給与をもらって仕事が与えられる。一方的に与えられた仕事にやりがいを見出せず、モチベーションは下がり、不満は増え、さぼり知恵も増える。社員にとってそんな会社から得るものもなく、当然会社にとってもそんな社員はいらないのだ。自主的に稼ぐことが面白いと思えるやりがいのある社員だけで十分なのだ。会社は時代の変化に気づき、遅かれ早かれ、経営スタイルを変えることになる。その際に、雇用形態などはどうでもいいことだと改めて気づくだろう。

自分の葬式を想像してみる…そこから、働き方への新しい概念とヒントが見えてくる。自分の葬式、自社の社員、一緒に仕事をする仲間やクライアント、その人の葬式ではたくさんの仲間が涙し、生き甲斐を語り合う。会社という組織が、それを可能にする方法のひとつであっても良いのではないだろうか。

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